ピアノは弾けないけど音大を目指す高校3年生の夏休み前の進路相談は親が同席の三者面談だった。担任は音楽の先生で、部活(合唱部)の顧問でもあった。 先生がいきなり「音大へ行ってみないか?」なんて無謀な提案をしてきた。 その頃は「高校生活=合唱」みたいな毎日で、歌うことが大好きだったけど ピアノも習っていなければ、音符も満足に読めない。 ただ、適当に、いや・・・みんなに合わせて?なんとか歌っていたかんじ。(・。・; アハハ… 高校3年だというのに、進路を全く決めていなかった私に一つの選択肢を作ってくれた。 ポッと沸いたような現実離れした「音大への道」 私は毎日歌っていられるなら、それにする!っと安易に決めてしまった。 自宅に帰って、親と話し合った。いや、話し合いではなく説得になったような気がする。 今、思えば両親はすごいと思う。娘の思いつきに付き合ってくれて・・・ 音大へ行くということがどれだけお金がかかることなのか?私は知らなかったのだ。 音大への道が果てしなく長くなることも、その時は気がつかなかった。(^。^;; まず、音大へ行くにはピアノが弾けなくてはならない。 さっそく、新しいピアノを買ってもらった。すごくうれしかった。 ピアノは「ネコふんじゃった」のレベルの私が、ピアノなんて弾けるようになるの? 個人レッスンに行くと、「バイエル」という、ピアノの本を渡された。 「ドレドレドー・ドレミドー」小さいお子ちゃまとレッスンが前後で一緒になると こんなお姉ちゃん(高校生なのに)がバイエル?っと不思議そうにされることが、恥ずかしかった。 それでも、基本的な指の動きをマスターするには、「バイエル」「ハノン」は必須だった。 が、もっと難問が待っていた。 それは、ソルフェージュ 音を聴いて音符を書いたり、初見で楽譜を見て歌ったり・・・ 絶対音感は17歳の少女には全くなかった。(^。^;; ただ、歌いたいだけなのに、歌以外にやらなければならないことが山のようにあった。 そして、秋が過ぎて周りの友達のほとんどが推薦で進路が決まっていた。 私だけ一人取り残されて、不安でいっぱいになった。 その頃、やっとピアノを両手で弾けるようになって 音大の試験で弾く課題曲の練習にとりかかった。(もちろんバイエルのレベルじゃない) 音符がやっと読めるようになって右と左の手が全く違う動きができるなんて 奇跡だと思った。(^^) 周囲も先生も自分も「イチロー」は覚悟のうえ。 一浪したとしても音大に入れるの?って思い始めた。 浪人してまで、音楽の道に進むことになるとは・・・(^。^;; 記念受験ということで、有名なM音大の受験に挑戦した。 一緒に受験した合唱部の仲間二人は見事合格した。 私は、そこから一人、長い長い浪人生活に突入したのだった。 つづく♪ |